「公共」は意図的な誤訳だ|大川浩正

第44回全国交流集会(2018年11月17・18日 東京)記念鼎談「半世紀の闘いから道路問題を語る」(標博重 前道路全国連事務局長、大川浩正 道路公害反対愛知県民会議代表委員、橋本良仁 道路全国連事務局長)における大川浩正氏の発言をご自身が原稿にまとめられました。公共事業を考えるうえでの参考資料として掲載いたします。

  • 大川浩正(道路公害反対愛知県民会議代表委員)

第44回全国交流集会の記念鼎談(道路公害と住民運動No.969 2018年12月)で私が話ししたことの再録と、リニア中央新幹線、東京外環道の大深度法適用の現実を見て補足しました。

「公共の利益、公共の福祉という言葉は意図的な誤訳だ」。これは新幹線公害の判決に関して故徳田秋(おさむ)さん(民医連)の感想です。Public welfareのpublicは公衆電話、公衆浴場など公衆と訳されることが多い。ふつうは国民大衆、一般大衆、国民一般などと訳されます。

一方「公」はおおやけと読み、もとは朝廷のこと、江戸時代には年貢について七公三民(収穫の七割をお上、領主がとり、農民は三割)などと用いられ、民と対立する言葉です。publicを公共としたために「公共の利益、公共の福祉」は個人の権利と対立することになりました。

わたしがかつて読んだ憲法解説では「個人の権利は,他の人の個人の権利と衝突するときは行政、司法によって調整される」とありました。つまり「公共の福祉」とは、個人の利益が相互に衝突する場合、社会全ての人々の個人の利益がバランスよく保障されるよう、調整することをいうのです。だから多数のため、個人が犠牲になることを意味するわけではありません。私はこちらがまともだと思います。

「大深度地下法」にも「公共の利益」がもちだされています。ここを個人の権利の衝突としてバランスよく調整するなら「リニアによる不特定多数の数十分の利益と特定少数の一日24時間、数十年、いや永久に続く被害を比較すればリニア中止の結論は明らかです。また、車で外環道を利用しようという人は、沿線の被害と比較して、他の道を選んだり、自転車にしたり、近い将来には世界的にブームになっているLRTを利用するという様々な選択をすることが公共の福祉(個人間の利益の調整)と言えるでしょう。

不特定多数どころか、ゼネコン、ほんの一握りの大金持ちが株主として、公共の福祉を唱えることが公害の原因と言えます。戦後70年、公害が続発してきたことは、大企業と政府が公共の福祉を旗印に、公害反対の住民運動を押しつぶしてきた結果です。

リニア新幹線では供用しても赤字と社長が自認しているのに事業を始めています。営利を目的とする私企業にそんなことが出来るのでしょうか。中部空港第2滑走路や北九州道路なども同様供用後の需要増が見込まれないのに建設を強行しようとしています。「公共の福祉」という錦の御旗を振りかざして、結局は、政、官、業が公費を山分けしているのではないでしょうか。現に辺野古の基地建設では防衛省高官が天下りした業者が全事業の7割を受注したとか、埋め立て用岩ずりの単価が通常の3倍で決定され、しかもその業者から沖縄防衛局に献金されていることが報道されています。なぜこんなことが公共事業として通用するのでしょうか。

そうした状況に負けないよう、声を大にして、一つにまとまって運動を進めることが今こそ求められています。

  • 参考(以下は、文章を理解するための日本国憲法抜粋です。第9条以外にもいろいろあります。)
    • 〔基本的人権〕
      第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
    • 〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕
      第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
    • 〔個人の尊重と公共の福祉〕
      第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。